名古屋地方裁判所 昭和52年(ヨ)1453号 判決 1980年3月26日
申請人 佐々木恒彦
被申請人 興和株式会社
主文
一 申請人の申請を却下する。
二 申請費用は申請人の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 申請人
(一) 被申請人が申請人に対して昭和五二年一〇月三日付で同月六日交付した申請外興和新薬株式会社へ勤務を命ずる旨の意思表示の効力は仮にこれを停止する。
(二) 申請費用は被申請人の負担とする。
二 被申請人
主文同旨の判決。
第二当事者の主張
一 申請の理由
(一) 被保全請求権
申請人は、勤務場所を被申請人会社名古屋工場とする労働契約上の地位を有するものであり、申請外興和新薬株式会社に勤務する義務はない。
以下右関係を詳述する。
1 被申請人(以下会社ともいう)は、医薬品、電機光学製品の製造および繊維、各種機械等の販売、輸入等を業とする会社であり、名古屋市に本店と名古屋工場(薬品部)とを、東京、大阪にそれぞれ支店を、福岡、札幌等に出張所を有し、薬品関係では東京研究所と名古屋工場の他には静岡県に富士工場を有している。
申請人は昭和四七年会社に名古屋工場勤務者として採用され、採用以来試験課の外観安定性試験係(以下試験係ともいう)として医薬事業部名古屋工場勤務を命ぜられ、この命令に従つて就労して来た。
2 (1) 被申請人は昭和五二年九月一六日、申請人に対し、同年一〇月一日から申請外興和新薬株式会社(以下興和新薬という)大阪支店勤務を命ずる旨の命令の内示を発した。
(2) そして会社名古屋工場長は同月四日、申請人に対し、さきに内示した転勤辞令がおりたので渡したい旨述べ、興和新薬名義の、同月三日付の、申請人を管理部門総務本部勤務を命ずる旨の辞令を交付しようとした。
申請人は、興和新薬への本件出向については異議をとどめて、これを受け取るつもりもあつたが、右辞令が、申請人の勤務会社とは別会社の、興和新薬作成名義のものであつたので、被申請人名義でなければおかしい旨述べ、右辞令交付には応じられないと抗議し受取りを拒否した。
(3) その後同月六日、会社名古屋工場長外二名が、申請人を呼び出し、前記興和新薬作成の辞令の外、同じく同月三日付の被申請人作成名義で、申請人に興和新薬へ勤務を命ずる旨の辞令を並べ、両方の辞令を受け取るよう求めた。
申請人は、前記経過に従い、両方の辞令の受取りは拒否し、被申請人作成名義の辞令のみを受取つた。
なお会社名古屋工場長は、右辞令及び就業規則に基づき昭和五二年一〇月一三日までに赴任せよと云い、赴任先については、当日朝聞きに来れば話すということであつた。
(4) 会社は、申請人に対する本件出向命令を、他の異動者名と共に、全興和労働組合連合会(以下全興和労連という)に、昭和五二年一〇月三日電話で通知した。
3 しかしながら、会社が申請人に対して同日付で同月六日交付した興和新薬への勤務を命ずる旨の意思表示(以下本件異動ないし本件命令という)は、違法、無効であるから、同命令によつて申請人の契約上の地位に変動を生じない。
(二) 保全の必要性
申請人は、とりあえず異議をとどめて本件命令に従い昭和五二年一〇月一三日興和新薬に赴任した。右は、もし申請人において、会社の本件命令に直ちに従わないときは、業務命令違反として解雇処分に付されることを懸念したからである。従つて申請人がとりあえず本件命令に応じたとしても保全の必要性がなくなることはない。即ち、本件命令には、短期間に会社名古屋工場に戻る保障も全くないだけでなく、万一本案訴訟となれば年単位の日数を要すること必然である。申請人が本件出向先の興和新薬で右のような期間セールス、プロパー業務に従事するについては、先ず全く異質な職種に従事させられることにより日々、多大な苦痛を与えられることは必定、更には先例が示すように退職におい込まれるやも知れない。又は既に全興和労連における組合活動も立ち切られ一刻も早く右組合員として立ち戻る必要もある。右の如く、申請人には、本件命令の意思表示の効力を仮に停止する旨の仮処分を求める必要性がある。
二 申請の理由に対する認否
(一) 申請の理由第(一)項のうち前文は争う。
同項1のうち、申請人が名古屋工場勤務者として採用されたことは否認し、その余は認める。
同項2のうち、(1)は否認する。会社は、昭和五二年九月一六日申請人に対し、同年一〇月一日付で興和新薬に転勤を命じられる予定であると内示したに過ぎない。(2)のうち申請人が、興和新薬への本件異動については異議をとどめて、これを受けとるつもりであつたことは知らない。その余は概ね認める。ただ、「内示」とは、前述した意味である。(3)のうち、名古屋工場長が、辞令及び就業規則に基づき昭和五二年一〇月一三日までに赴任せよと云い、赴任先については、当日朝聞きにくれば話すと述べたとの点は否認し、その余は認める。(4)は認める。
同項3は争う。
(二) 申請の理由第(二)項のうち、申請人が本件命令に従い、その主張の日興和新薬に赴任し、現在までプロパー業務に従事していることは認める。その余の事実は否認し、主張は争う。
仮処分申請事件において保全の必要性がある場合とは、当該争いのある権利関係につき、直ちに保全しなければ回復し難い損害が発生する場合でなければならないところ、申請人の必要性についての事実主張が全て肯認されるとしても、右事実によつて、申請人が回復し難い損害を蒙るものとは到底考えられないから、申請人の主張はそれ自体失当である。現に申請人は、本件命令に従い、プロパー業務に従事して一年半以上経ているにもか拘わらず、格別の損害を蒙つていないこと自体が、その一証左といえよう。いわんや申請人が回復困難な損害を蒙つたなどという事実は全くない。組合活動上の支障という点についても、興和新薬には興和労組があり、労働組合活動は、各組合員が、それぞれその所属労働組合において、行うべきものであるから、組合活動が出来なくなることはありえないところである。従つて、申請人が不利益であると主張する事実は、通常の転勤によつて生ずる労働環境の変化に、一般的、必然的に随伴するものであつて、保全の必要性を充足するに足る事実とは到底云えないのである。
申請人は、興和新薬においてプロパー業務に従事するようになつて以降、これに意欲的に取り組んでいるほか昭和五三年一一月一四日には結婚し、表記住所地に新世帯を構えるとともに、営業の合い間には、ゴルフを覚えたりするなど、青春を讃歌しているのであつて、日常の業務や生活に苦痛を感じているどころか、かえつて、喜びを見出しているとさえ思えるのである。
三 抗弁(被申請人)
被申請人に対して発した本件命令は有効であり、契約上申請人は興和新薬において勤務すべき義務を負うに至つた。
以下その関係を詳述する。
(一) 当事者ら
1 申請人について
(1) 申請人は昭和四七年三月に愛媛県立北宇和高等学校食品化学科を卒業し、会社、興和紡績、興和新薬の三社(以下この三社を単に三社という)による一括求人・採用方法によつて、三社に採用され、同月一三日付で、本社採用資格社員(社内では「等級社員」と呼ばれているので、以下等級社員ともいう)として会社に配属された。
(2) 申請人は、本社採用資格社員として三社に採用された後、同月一三日から同月一五日まで三日間にわたる三社の一括新入社員教育を受け、同月一六日、その最初の勤務地である会社名古屋工場に赴任し、同日以降同年九月二〇日までの間製造課第一係(錠剤)において現場実習を受けた。なお右期間のうち、同年四月一〇日から同月一三日まで薬品部門合同教育を、同月一四日から同年五月一九日まで薬品部門合同工場実習を、それぞれ会社富士工場において受けている。右製造課第一係における現場実習後は、会社名古屋工場試験課外観安定性試験係の業務を担当した。
(3) その後、昭和五二年一〇月一三日(転勤辞令は同月三日付)、興和新薬管理部門総務本部に転勤し、同月二一日、興和新薬大阪支店高松営業所において、プロパー業務を担当して現在に至つている。なお同営業所において申請人の担当地域は、徳島県である。
2 会社について
(1) 会社は、興和紡績及び興和新薬と共に、二〇数社の関連会社が形成している通称「コーワ・グループ」の中核会社である。会社の事業目的は、医薬品の製造等であり、その資本金は一八億円、従業員は昭和五二年一二月末日現在で約二四〇〇名である。
会社は、名古屋市に本店を有する外、事業所として三支店、四出張所、一研究所、四工場及び三センターを有している。
会社の事業は生産部門と商事部門の二つに大別されこのうち生産部門については、更に医薬品の開発、製造、品質管理を行う医薬事業部と、電機光学製品の製造、販売を行う電機光学事業部に分かれ、商事部門は、様々な素材の繊維製品の商取引を行う繊維事業部と、繊維以外の様々な物質、商品の商取引を行う非繊維事業部に分かれている。
(2) 会社とともにコーワ・グループの中核を占める興和新薬は、会社の医薬事業部で研究、開発、製造される医薬品、検査用試薬等の販売活動を担当する資本金一億円の会社であり、従業員は昭和五二年一二月末日現在で約五八〇名である。興和新薬の本店所在地は、会社本店所在地と同一であり、事業所としては、東京、名古屋、大阪、福岡の各支店、札幌、仙台、新潟、広島の各出張所があり、右支店の管轄下に、横浜、千葉、相模原、神戸、京都、高松、岡山、熊本および北九州の各営業所がある。部門としては、主として薬局、薬店を訪ねて、商品説明を行い販売促進をはかる業務を担当する薬粧部と、病院、開業医を訪ねて商品説明を行い販売促進をはかる業務を担当する新薬部に分かれている。
3 組合について
コーワ・グループには、興和化学労働組合(以下化学労組という)、興和光器労働組合(以下光器労組という)、興和紡績労働組合(以下紡績労組という)、興和労働組合(以下興和労組という)の四組合が存在する。化学労組は会社の医薬事業部の生産研究事業所従業員により組織され、組合員数は八二四名であり、光器労組は、会社の電機光学事業部の生産事業所の従業員により組織され、組合員数は三〇三名であり、紡績労組は興和紡績の生産事業所従業員により組織され組合員数は一六一五名であり、興和労組は三社の営業(非生産)事業所の従業員により組織され組合員数は一六一一名である(以上四組合の組合員数は、すべて昭和五二年一二月現在のものである。)。このうち、化学労組、光器労組、紡績労組の三組合は全興和労連を組織しており、全興和労連はゼンセン同盟の傘下に属している。
(二) 本件命令の性質
1 はじめに
本件命令は、会社から興和新薬への異動であり、その実態は、会社製造にかかる医薬品の製造部門から販売部門への転勤であり、通常の社内配転にほかならず、いわゆる出向には当らない。申請人は、確に形式上は、法人格を異にする他の会社に移動するわけであるが、後述する三社の一体性或いは採用手続等から明らかなように、会社と興和新薬の人事構成及び勤務条件の同一性からすれば、興和新薬での労務提供過程における労働指揮の主体及び勤務条件が、会社のそれと変つたとは、全く云い得ないのである。
このように、本件命令は、形式的には、いわゆる出向命令にあたるかもしれないが、その実質は社内転勤と同一視されるべきものである。
以下その理由を詳述する。
2 三社の一体性について
(1) 前述のとおり、会社は、興和紡績及び興和新薬と共に、二〇数社の関連会社が形成している通称「コーワ・グループ」の中核会社であり、三社は又一括して「コーワ」と呼称されている。
(2) 三社の沿革
明治二七年服部兼三郎商店(綿布問屋)として創業、漸次業容を拡大し、大正元年個人経営を会社組織に変更して株式会社服部商店となるが、この頃にはその業務も輸出入業、織布業および綿紡績業にまで及んでいた。昭和一四年一一月、当時の商工省の指示に従い、綿紡織部門と商事部門とを分離し、綿紡織部門は興和紡績(当初の商号は右株式会社服部商店、その後、興亜紡績株式会社を経て、現商号となる。)に、商事部門が会社(当初の商号は株式会社カネカ服部商店、その後興服産業株式会社を経て、現商号となる。)になつた。又会社は第二次大戦後、医薬品製造業にも進出し、その充実・発展に伴い、昭和二九年には、その販売部門を担当する興和新薬を誕生させた。
なお興和新薬設立の経緯は、当時、会社が製造する医薬品の販売を、株式会社中村滝商店を通じて行つていたところ、同商店の経営が行き詰つたため、この際会社で製造する医薬品は、会社自ら販売するということで設立されたものであり、いわば会社の販売部門の設立といえるものであつた。
(3) 以上から明らかなように、三社は事業内容の拡大、整備に伴い、あるいは国の指示により、同一母体から発生し設立されたものであるため、三社間においては勿論、社外においてさえも、形式上は別個の法人格ではあるが、実態は同一会社である、と認識されて今日に至つているのである。ちなみに、三社の社章は、全く同一であるのみならず、三社を区別することなく入社年度別の通し番号が付されている。
(4) 右三社が、同一会社であることは、以下に述べる三社の人事面、経営面及び資本面等からも明らかである。
(ア) 先ず第一に三社の人事構成であるが、取締役社長は、昭和三四年八月以降いずれも三輪隆康であり、会社専務取締役吉野金三郎は、会社医薬事業部事業部長であると共に、興和新薬専務取締役、同管理部門部門長でもあり、会社取締役三輪緑四郎は、興和新薬の取締役でもある。その他、三社各間の役員、役職を兼務している者を掲げれば数限りない。
(イ) 第二に、三社の経営にかかわる事項についての立案・決定をなす諸会議は、常務会、取締役会及び店長、工場長会議などの上級会議から、社員管理に関する労務部会等の下級会議に至るまで、常に三社区別することなく合同で開催されている。特に会社と興和新薬との関係で述べれば、例えば毎月一回、会社の本店(興和新薬の本店でもある)で薬品部の決算報告並びに業務運営方針を検討するため薬品部会が開催されているが、この部会の出席者は、興和新薬の全事業所長、会社医薬事業部全事業所長、会社の医薬事業部関係の取締役及び興和新薬の常勤取締役であり、又右部会とは別に、右出席取締役のみで月に一回薬品部の基本方針を検討するため新薬役員会も開催されている。
(ウ) 第三に、三社の本店は、全て興和ビルという同一の場所にあり、右興和ビルの中では、三社の区別なく業務が行われている。
例えば、人事部に関して述べれば、昭和五三年二月現在人事部員は総計二二名であり(内四名が興和紡績所属、内一名が興和新薬所属、内一五名が会社所属であり、残り二名は会社及び興和新薬の両社に所属している)、それぞれが人事課、労政課のいずれかに属し、三社区別することなく、同じ部屋で三社の人事業務に従事しているのである。なおつけ加えれば、興和新薬の発行株式の九九パーセントは会社がこれを保有しており残りの一パーセントは興和紡績がこれを保有している。
(エ) 第四に、就業規則を始めとする三社の各諸規則、諸規定も殆んどのものが三社共通に作成適用されている。従つて三社の従業員は、三社間を異動してもその労働条件において異なるところは全くないといつても過言ではない。
その結果、例えば三社間にわたつて如何なる異動をしても、退職金及び退職年金支給の基礎となる勤続年数は相互通算されるし、出張旅費、慶弔見舞金等もすべて同額である。
(オ) 第五に、各種の社会保険に関する事項、更には社宅・保養所等福利厚生の面においても、三社共通に取扱われている。例えば、申請人は、本件転勤までいわゆる会社独身寮に居住していたわけであるが、右独身寮には、三社の本社採用資格社員たる独身社員が何等区別されることなく、混然と居住している。
(カ) その他、後に述べる通り、三社においては、社員採用に際し、これまで一括求人・採用をしており、各種社員教育の場合も三社の社員を区別することなく、一堂に集めて実施している。
3 三社における採用手続等について
(1) 三社は、右に述べた一体性から、社員区分についても共通の制度を採つている。
右社員区分の大要は次のとおりである。
(ア) 本社採用資格社員
高校卒業以上の学歴を有する者で、三社の本店が後述する「一括求人・採用」によつて、職種、勤務地を特定しないで採用した社員であり、本店採用資格社員ないし等級社員とも呼ばれている。
(イ) 事業所採用資格社員
学歴が中学校卒、高校卒、短大卒の者で、三社の各社の各事業所がそれぞれ独立して求人活動を行い、事業所毎に採用した社員であり、原則として、他事業所への異動は行わない社員であり、事業所採用資格社員と呼ばれている。
(ウ) 「本社採用資格社員」及び「事業所採用資格社員」は、三社において、あらゆる面(例えば人事・給与・独身寮への入寮等)で、厳然たる区別がなされている。
(2) 本社採用資格社員の採用(一括求人・採用)
本社採用資格社員の求人・採用手続は(後述の如く昭和四五年度の高校生に対する求人票事務を各担当事業所へ移管するまでは全て同じ)は、三社区別することなく、入社案内、会社案内等のパンフレツト(求人媒体)を作成配付すると共に、会社名で求人申込票を大学・高校へ送付し、会社人事部員が各学校を訪問・求人活動をし、(なお各事業所と密接な関係のある地域所在の地方高等学校へは、当該事業所の労務課員が訪問し求人活動を実施していた。)会社人事部が、三社の本社所在地で、三社区別することなく入社試験・面接を行い、会社名で採用内定通知書を送付し、三社区別することなく入社式を行い、その後三社各別名で辞令を手渡し、そして三社の配属先を区別することなく、合同で社員教育をする、というものである。
この一括求人・採用の方式については、疎乙第九ないし第一二号証の全てに「この求人は興和石塚、興和新薬(株)、興和紡績(株)、三社の求人を一括して行うものです」旨明記してあることからも明らかな如く、求人段階で応募者に対してはもとより、学校事務局、教員らにも明示されている。
又すでに求人段階において、三社は、前述した三社の沿革、労働条件の同一性、将来の三社間の人事異動の可能性など、三社の一体性を明確に説明している。右説明は、応募者の会社訪問、求人説明会或いは採用担当者の学校訪問等の機会に口頭で充分なされる外、疎乙第一一号証(ダイナミツクコーワのプロフイール)中に、又疎乙第九号証の(’72入社のご案内)の中に各記載されており、これらによつても明らかである(又疎乙第九ないし第一二号証の各パンフレツトの記載方法全体からも右の趣旨は明らかであろう)。求人段階を経て、選考、採用の各段階に至れば、前述した沿革、三社の一体性、人事交流の頻繁性及びその手続が社内配転という考え方で広く行われていること等を一層明確に伝え、応募者から明確な同意を得ていることは云うまでもない。
このようにして右の各点について充分確認の上、採用内定者が定まり、内定通知が出され、その後疎乙第一三号証の如き「新入社員教育テキスト」を送付しているが、右にも「コーワ・グループは、興和紡績(株)、興和(株)、興和新薬(株)の三社を中心に、それを一〇数社の関連会社が取巻いて形成されています。三社は、営業内容・決算単位を異にしていますが、共通の目的をめざす企業体として、管理諸制度、就業条件は全く共通です。例えば、人事面では勤続の通算はいうまでもなく、人事異動も社内転勤という考え方で広く行われ………」旨の記載があり、社内転勤と同一手続によつて、三社(時にはその各関連会社)間の人事異動が行われる旨の労働条件が明示されているのである。
しかして、採用内定者は、正式に採用され三社のうちのいずれかに配属が決まると、将来三社間の人事異動が行われることを当然の前提とした文言の記載がある身元保証書に、身元保証人と連署して、配属先にこれを提出する。更に、採用され三社のうちいずれかに配属の決まつた新入社員に対しては、三社共通の新入社員教育が行われ、そこにおいても、三社の沿革、一体性および人事交流の実情と将来の可能性等が説明される。
以上述べた如く、本社採用資格社員は、採用にあたつて、特に職種を定めず、勤務地をも特定しないことはもとより、三社間において、将来社内配転と同一手続によつて人事異動させられることを明示的に合意している。
(3) 事業所採用資格社員の求人・採用手続
各事業所が、会社人事部と関係なく、各事業所名で、短大・高校・中学校に求人票を送付・求人活動を行い、各事業所で入社試験、面接を実施し、採用通知、入社式、新入社員教育も企て各事業所名、各事業所で実施している。従つて、事業所採用資格社員の場合、会社人事部が事業所採用資格社員の採用業務に関係するのは、採用された後、各事業所から採用人員が会社人事部に連絡される場合のみであり、その採用業務に会社人事部が介入する余地は全くない。
4 申請人の採用について
申請人は、昭和四七年三月、前述の一括求人・採用により職種の特定はもとより、勤務地の特定もない本社採用資格社員として三社に採用され、会社に配属となつた。
即ち、申請人は求人の段階で、疎乙第九ないし一一号証(これらは、すべて昭和四七年の採用時使用のものである)等によつて明らかな三社よりの一括求人・採用に応じ、かつこれらの資料および採用担当者による説明により、職種・職場についての不特定さ、三社の沿革、一体性及び社内転勤と同一手続による三社(時にはその各関連会社)間の人事異動の可能性を熟知し、これを承諾して採用された。もつとも三社の求人事務は便宜的に会社名古屋工場が担当していた。
又申請人は、右採用後、三社によつて行われた新入社員教育を受け、そこにおいても前述の如く、三社においては「人事異動も社内転勤という考え方で広く行われ」るものであることを充分理解するとともに、これに対し何らの異をも唱えていない。
(三) 本件転勤は、仮にいわゆる出向に当るとしても、有効である。
1 前述のとおり、申請人に対する本件命令は、いわゆる出向命令ではなく、実質的にみて、「転勤」であるが、仮に本件命令が出向命令にあたると仮定しても、以下に述べるとおり有効である。
(なお三社間においては、前記のとおり、現実には、等級社員は三社との間に労働契約が成立し、三社に在籍するとの考え方に基づいて取扱われて来たのであるが、右仮定に従つて、三社間の異動を出向であると解し、その効力を判断するに当つては、右現実の取扱をしばらく措いて、採用時に配属される一社との間に労働契約が成立するとの二重の仮定に立たなければならない。
よつて以下に述べるところは、すべてこの二重の仮定に立脚したうえのものである。)
2 出向命令の根拠
(1) 出向は、労働指揮権者が変更することから、一般に出向者の同意を要すると解されるが、その同意は明示・黙示を問わず、また雇用契約において予め同意するか(包括的同意―特約の存在)、その後において個別的に同意するかを問わず、更に右各場合と同視し得べき特段の事由の存在をもつても足るものと解されている。
しかして右各事由の判断順序としては、<1>まず労働契約締結のはじめに、将来会社の必要に応じ出向を命ずることがあるべく、又これに服すべき旨の特段の合意が存在するか否かを検討し、これがないときには更に<2>当該企業の労働協約、就業規則等に出向についての規定が存在するか否か、<3>出向についての労働慣行が存するか否か、(右<2>、<3>はいずれも前述の特段の事由に当る)を検討し、以上が存在しないときに初めて<4>個別の同意の有無を問題とすべきである。
本件においてこれを見ると、後述のとおり右<1>ないし<3>の各事情がすべて存在しているのであるから、申請人の個別的同意の有無を問題とする必要はない。
(2) のみならず、右一般論に加えて、本件の場合には前述した三社の一体性という特殊事情が考慮されなければならない。
本件の如き強い一体性を有する企業間の異動の事例にあつては、原則として「同意の存在と同視し得べき特段の事情」が存するのであり、使用者はその業務上の必要性に応じ、被用者に対し適宜異動を命じ得るものと解すべきである。
3 包括的同意(特約)の存在について
(1) 会社は、申請人を採用するに際しては、三社の一体性については詳しく説明し、とりわけ三社間における等級社員の異動は、通常の社内転勤と全く同一と認識され、現実にも同一手続によつて頻繁に行われていること、申請人も将来同じ取扱を受けることがあることについて充分説明した。申請人自身もこのような三社における等級社員の人事異動の実態と可能性を充分認識理解したうえ採用されたものである。
してみれば、会社と申請人間の労働契約の内容には、三社間の等級社員の異動について、会社から社内転勤と同一手続によつて異動を命ぜられた場合にはこれに従う旨の包括的な特約が合意されていたものである。
右特約の成立について更に詳述すれば次のとおりである。
(2) 会社は昭和四六年七月名古屋工場労務課員の伊藤礼治(以下伊藤という)をして、北宇和高等学校へ赴かせ、同校進路指導室において、同校食品化学科長(高松宏教諭)の同席の下に、三社の一括求人に応募する意思を示していた申請人に対し、次の内容にわたる本社採用資格社員(等級社員)の求人説明事項の外、三社の事業内容、雇用条件等につき詳細な説明をなさしめた。
即ち、伊藤は本社採用資格社員(等級社員)の求人説明の際必ずなすべきとされている事項(会社より説明を指示されていた留意事項)として、申請人に対し、
<1> 本社採用資格社員は、三社一括求人・採用であること
<2> 本社採用資格社員は、事業所採用資格社員と異り、勤務地及び職種を特定せず、三社の幹部候補社員として採用すること
<3> 本社採用資格社員は、将来三社間を社内勤務と同一手続によつて異動を命ぜられる可能性があり、その異動は社内で頻繁に行われていること
<4> 本社採用資格の採用決定権は、本店にあるので、自分は名古屋工場の求人担当者であるが、本店人事部を代理していること
の四点について、明瞭かつ詳細に説明をなしたのである。
右の如き伊藤の説明に対し、申請人は疑問をさしはさんだり、異議を述べるようなことは一切なく、一々うなずいていたのであり、右内容を明確に理解し、かつ了解していた。
(3) 会社は昭和四七年度の本社採用資格社員求人用のパンフレツトとして疎乙第九ないし第一一号証を作成し各高等学校へ配付していたが、右各パンフレツト中には、「・コーワ事業所のいずれでも勤務できる人、私たちの事業所は、海外および国内各地にひろがつています。そのいずれでも活躍できる人を求めます。」とか、三社の営業内容を一体としてとらえ、これを医薬品部門、電機光学部門、紡績部門等々の「部門別」として紹介したり、「・事務系―興和(株)、興和新薬(株)、興和紡績(株)の各事業所に勤務し、営業マンとして国内および海外における商取引の第一で活躍するほか、管理部門も担当します。」、「・技術系―興和(株)、興和新薬(株)、興和紡績(株)に勤務し、生産、研究、販売業務を担当します。」とかの記載により、三社の一体性、三社の一括求人、三社間の異動の可能性等が明示されている。またこれらパンフレツト末尾には「この求人は興和(株)、興和新薬(株)、興和紡績(株)三社の求人をまとめて行うものです。」等と明示もされている。
申請人としては自からの希望する会社のパンフレツトであり、これらの内容を熟読していたことは明らかである。
従つて、前記伊藤の説明と合せて、これらパンフレツトによつても、申請人が、三社の一体性、一括求人・採用方式、従つて又三社にまたがつての人事異動の存在を充分理解し納得していたことは明らかである。
(4) 申請人は、昭和四六年八月会社名古屋工場に見学に訪れている。その際応接にあたつたのは前記伊藤である。同人は工場を案内すると共に、申請人に対し三社の一体性、三社間では社内転勤という考え方で、頻繁に人事異動がなされており、申請人が当初いずれの事業所に配属されるか分らないが、勤務先が当初の事業所に特定されるわけではなく、会社の他の事業所或いは興和紡績、興和新薬の各事業所に転勤を命ぜられるかもしれない旨説明しており、これに対し申請人はよくわかつた旨明確に返事をしている。
(5) このように三社間の人事異動関係について充分理解していた申請人は、その後昭和四六年九月に「三社宛」の入社志望票を提出して労働契約の申込みをなしているのであるが、これによつて、すでに申請人は三社の一括求人方式を是認し、これに積極的に応じたこと、即ち「三社」に対し雇傭を求めたことが明らかである。
(6) 会社は昭和四六年一〇月一日に筆記試験等を行い、翌二日面接試験を実施したが、申請人はこのいずれをも受験した。
しかして、申請人に対する面接試験は、藤田高堂労務本部長(当時三社の人事部長職にあつた)が中座したため、佐藤輝夫人事課長(会社と興和新薬両社人事課長)を含む五名の面接委員によつて行われた。右面接は、本人の氏名、学校、学科の自己紹介後、入社志望票記載事項の確認、補足質問及び一般質問の順序で進められ、次いで佐藤課長から三社の事業内容、雇傭条件等の説明及び確認がなされた。その際佐藤課長らは、第一に入社志望票に記載してある申請人の希望職種、希望勤務地に関して、申請人は本社採用資格社員の求人に応募しているのであるから、その性質上、職種、勤務地が特定されることはないこと、第二に採用後最初にどの事業所に配属されたとしても、三社間では転勤として頻繁に人事異動がなされており、このような転勤の可能性があること等について充分説明をなすとともに、申請人に対しその条件に応ずるか否かを質したところ、申請人は明確に右いずれの点についても「結構です」と回答した。
しかして申請人のこのときの回答内容は、佐藤課長が所持していた疎乙第三九号証の入社志望票のコピーである疎乙第二五号証の「希望する職種とその理由」欄及び「希望する勤務地とその理由」欄の各欄外にそれぞれ「他職種O・K」「他勤務地O・K」とメモされ、現に保存されている。
従つて右時点において会社と申請人間には、その労働契約の付款として明示的に、申請人は会社より三社間の異動を社内転勤と同一手続によつて命ぜられた場合には異議なくこれに服する旨の合意が成立したものである。
このことは、前述した求人段階からの申請人に対する説明の徹底、申請人自身の理解と是認の経緯に照らしても明らかであり、更に後述するその後申請人が当然の内容として受講した新入社員教育の内容、申請人が当然のものとして提出した身元保証書の記載内容等からも明らかというべきであろう。
(7) 申請人は採用された後、三社の管理職を講師とする新入社員教育において、三社の一体性、等級社員の意味及び三社間の転勤異動の状況等について繰返し説明を受けており、右合意内容を確認している。更に疎乙第一四号証の身元保証書には、将来三社を含む姉妹会社に異動することがあることを前提とした文章の記載があるが、申請人は入社時に右文章を承認し同保証書に署名押印の上提出している。なお、右保証書の宛先欄は、空白のまま会社に提出させており、配属が決定した後会社が記入することとしてあつた。このような事実は申請人が前記特約を承諾した事実を明らかに示している。
(8) 以上のとおり、申請人は会社との労働契約の締結に当つて、明示的に前記特約をなしたことが明らかであるが、仮に何らかの理由によつて明示的合意がないとしても、右に述べた経緯からすれば少くとも黙示の合意があつたことは明白である。
4 労働協約、就業規則等の存在について
(1) はじめに
既に述べたように三社間の等級社員の異動については、実務上、従来より転勤として扱われており、労働協約・就業規則等の適用に当つても、転勤として処理されている。従つて労働協約或いは就業規則中出向とあるのは、三社以外の企業への異動を予定しているのであるから、ここで出向についての労働協約の存在に言及する場合には、更に実務上も三社間の異動が出向として扱われているものとの仮定が必要となる。
(2) 労働協約の存在
(ア) 申請人は本件命令時、化学労組の組合員であつた。又前述のとおり、化学労組は、紡績労組及び光器労組と共に全興和労連を組織している。
会社及び興和紡績は全興和労連との間に労働協約を締結しているが、右協約二三条には、「会社は、従業員の転勤、応援、出向を行うときは、その氏名を事前に組合へ通知する」との定めがある。
右規定は、明らかに会社がその従業員に対し、出向を命ずることが出来ることとしているのである。右規定の原型は全興和労連結成前の個別組合と会社間の労働協約にも存し、昭和四一年全興和労連結成に伴い現在の定めとなつたのであるが、この経緯の中で会社と労働組合は、右規定が会社に出向命令権を認める趣旨のものであることにつき確認し合つており、これは今日まで変更を見ていない。
(イ) のみならず、本件のような三社間の異動にあつては、もともと同一会社間の社内異動として取扱われているため、異動手続は転勤と同一で一定しており、異動後の給与、賞与、資格、勤続年数、退職金計算等々の取扱は、異動前のそれらと、労働時間の点で若干の違いがある外は、全く同一条件であり、このことは従業員全員が常識として理解している自明の事柄である。従つて三社間の異動を出向ととらえても、出向先の特定(転勤扱いは三社間のみ)、出向に関する手続及び出向後の各種労働条件等については、制度上完全に整備、保証されていると云えるのである。
(ウ) このように労働協約中に出向に関する明文の条項がある場合には、改めて出向者の同意を要しないと解するのが正当である。会社においては、右のように労働協約中に明文の規定が存する外、更に前記の如く三社間異動についての具体的手続、異動後の労働条件等が確立されている事情にあるのであるから、三社間異動を出向ととらえたとしても、出向者の同意を要しないとすることには一層の合理性が存する。
(3) 就業規則の存在
(ア) 申請人の本件命令前の職場は、会社名古屋工場であり、同工場には疎甲第六号証の就業規則の適用がある。右就業規則六条によれば、「従業員は工場の都合で傍系会社、工場に転勤を命じ、または職場ならびに職種の変更を命ぜられる事がある。前項の場合、従業員は正当な事由がなければこれを拒むことはできない。」と定められている。右規定にいう「傍系会社」とは興和紡績、興和新薬の二社を指すのであるから、右規定の存在によつても三社間の異動が社内転勤と全く同一のものと意識され、同一手続で処理されていることが明らかであるが、この点をしばらくおき、三社間の異動が出向にあたるとしても、右は出向に関する明文の規定に当ることとなる。即ち同条は、会社における出向制度の存在を前提として、従業員に対し、これに従うべき義務を定めているのである。なお会社を含む三社の工場以外の営業所(非生産事業所)に適用のある疎乙第八号証の従業員就業規定二〇条にも同旨の規定があり、三社間の異動は同条の「転勤」にあたるものとして処理されている。
この外、前記(2)で述べたように、三社間の異動を出向ととらえた場合、出向先は特定しており、出向に関する手続も確立し、出向後の各種労働条件等についても制度上完全に整備、保証されている。
(イ) 一般に、就業規則の条項は、特段の制約がない限り、労働契約の内容となるから、就業規則中出向に関する規定は、出向について、労働者が包括的同意を与えたものと解されているのみならず、前述のように、三社間異動を出向ととらえたとしても、その手続、異動後の労働条件等が明確な形で確立されている事情に照らせば、右の理は一層明白であろう。
してみれば、会社が本件命令を発することにより、申請人は、労働契約上これに従う義務を負うに至つたことは明白である。
5 慣行の存在について
(1) 本社採用資格社員の三社間の異動については、実務上、従来より転勤として扱われ、このような三社間の本社採用資格社員の異動は、会社も含めた三社内において、労働関係を律する規範的な事実として明確に承認されている。即ち三社間の本社採用資格社員の異動は、仮にそれが出向にあたるとしても、社内転勤と同一の手続によりなされることについて、三社の社員が一般に当然のこととして異議をとどめることなく受けとめている。
(2) このことは、次の如き各事実から極めて明白に認め得る。
(ア) もともと三社においては、取立てて「三社」という別法人的区別の意識がなく、一つの会社の中の事業所名の違い程度の認識しかなく、本社採用資格社員の人事異動については、三社を一括する存在としての一つの人事部が、三社全体の業務上の考慮に基づき決定、実施しているのである。しかしてそのようにしてなされたこれまでの三社間の等級社員の人事異動の実情は、昭和四二年三月二一日から五二年九月三〇日までの一〇年間に、延べ二一八名の等級社員が社内転勤手続によつて異動しており、さらに昭和五二年一〇月から五四年三月までの間の実績も延べ六五名となつている。
そしてこれらの異動者らは、いずれもその転勤命令を当然のこととして受けとり、これに従つているのであり、勿論これら異動者以外の社員から異論が出たようなことも全くなかつた。
(イ) 右のような過去における異動においては、昭和五二年三月末日までは、例えば本件転勤のように会社から興和新薬へ異動する場合であれば、三社の連名で「興和新薬〇〇〇部勤務を命ずる」旨の形式の辞令が交付されていた。そしてこのような取扱について、組合はもとより他のいかなる従業員からも異議等が述べられたことは一切なかつた。
(ウ) このような従業員の認識は古くから三社において培われている。
(エ) 労働組合自身も右のような認識を有している。
(3) 以上述べた諸事実からも明らかな如く、三社間における等級社員の異動については、三社及びその従業員間においていわゆる出向として、他社への異動という形では全く認識されておらず、通常の転勤として認識されていたのである。
四 被申請人の抗弁に対する申請人の認否及び反論
(一) 被申請人の主張(一)について
1 同主張1(1)のうち、申請人が被申請人主張の日時に、その主張の学校・学科を卒業したことは認め、その余は否認する。
会社は、申請人が三社による一括求人・採用により採用され本社採用社員として昭和四七年三月一三日付で会社に配属されたと主張するが、同年二月二六日付入社内定者に対する入社式への案内(疎甲第一六号証)同年三月一三日付辞令(疎甲第一七号証)は、いずれも興和株式会社名義で作成されたものであり、又、前述入社式への案内とともに採用内定者に対して送付された新入社員配属予定一覧表(疎甲第一八号証)には、興和紡績と興和株式会社と分た上で、その各工場に対する配属予定がまぎれもなく示されているのである。被申請人によれば、「本社採用社員」とは三社の本店が採用する社員であるとのことであるが、三社において、それぞれの「本社採用社員」というものと「事業所採用社員」との区別があるというのならともかく、かような主張は、以上に述べたように事実としても、明らかに虚偽のものであり、企業の社員採用に関しての常識からも考えられないことであると云わねばならない。労働者にとつて、営業活動に従事することになるのか、工場で現場労働に従事することになるのか、薬品の検査という技術を要する仕事に従事することになるのか、或いは研究部での研究員として勤務することになるのかわからないままに入社するはずがないのである。仮に三社一括採用というようなことがあるとすれば労働基準法一五条の労働条件明示の原則、同法二条の労働条件労使対等決定の原則に明白に違反するものであり、かような求人・採用を職安を通じて行えるはずがない。
同主張1(2)のうち、申請人が本社採用資格社員として採用されたこと、新入社員教育を受け、その最初の勤務地である会社名古屋工場に赴任したこと、昭和四七年三月一六日以降、製造課第一係において現場実習を受けたこと、その後試験係の業務を担当したことは認め、その余は否認する。
申請人は興和株式会社の本社採用社員として採用された後、三社合同の新入社員教育を受け、同年三月一六日その最初の勤務地である会社名古屋工場に赴任し、同日以降製造課第一係において現場実習を受けた(右期間中四月九日以降は、二班にわかれ、第一班は興和株式会社に採用された新入社員であり、第二班は新薬関係である。即ち、会社は、三社の全新入社員が、すべて同一カリキユラムでの研修を受け、その研修の結果、配属が決定されるかのごとく主張するが、三社共通に必要とされる研修については会社の便宜から同一に行われることはあつてもそれ以外の部分については、配属予定に従つて、研修カリキユラムを異にしているのである。右現場実習終了後、申請人は試験係への配属が確定した。
同主張1(3)のうち、異動が転勤であることは争い、その余は認める。
2 同主張2のうち、三社が通称「コーワ・グループ」の中心的存在であることは認める。
被申請人は、三社が通称「コーワ・グループ」の中核であると主張し、あくまでも三社一体であることを証明するための布石を打つているが、たとえば会社作成にかかる昭和四五年度入社社員のための「コーワについて」と題するパンフレツトでは、「一口に“興和”とよぶ場合、第一に最狭義の意味で興和株式会社を指し、この場合興和新薬等は単に新薬等とよぶ、第二に、主として社外から、“興和”とよぶ場合には、一般には紡績、興和、新薬三社のうち、一社あるいは全部を漠然と指している場合が多い、第三に、更に大きく、興和関係会社を一括した“オール興和”を指す場合で、三社の他に興和冷蔵(株)等、興和グループ全体を指す場合である」(疎甲第二〇号証)と記載され、又「新入社員教育テキスト」と題するパンフレツトにおいて、「コーワの組織にはたしかに未確定な部分が多いし、またその未確定さによる混乱がないとはいえません」(疎甲第二一号証)と、自ら述べているのである。
以上の事実からも明らかなように、三社がコーワ・グループの中で中心的な存在であるとしても、対外的、対内的に判然と一体としている存在というわけではないのである。
3 同主張3は、各組合員の員数を除き認める。
(二) 被申請人の主張(二)について
1 同主張1は争う。
2 同主張2のうち三社の一体性は争う。
会社は、三社が、三社の沿革、人事面、経営面及び資本面等から、実態として同一会社である旨主張するが、
(1) 人事面において、役員、役職を兼務している者が多数にのぼることは、関連会社間、グループ企業等においては、ありふれたことであり、兼務ということ自体、それぞれの職務の区別を示していることにほかならない。
(2) 三社の経営にかかわる事項についての立案、決定をなす諸会議が上級会議から下級会議に至るまで三社区別なく開催されるなどということは、一現場労働者にとつて知るよしもないが、すべての会議について、三社が合同で開催されるなどという非能率なことが、常識的にいつてありうるはずがない。要するに、各社それぞれの会議以外に、三社が共通に検討しなければならない課題について合同の定期的な会議が開催されるということである。
(3) 又三社の本店のある興和ビルの中で三社の区別なく業務が行われるとのことであるが、三社がそれぞれ会社の目的営業内容を異にしている以上、三社が混然一体となつて業務に従事するなどというきわめて非能率なことでありうるはずもない。単に同一場所で業務を行い、三社が共通に行うべき業務についてだけ、合同で、あるいは連絡しあつて行つているというにすぎない。
(4) 就業規則について三社共通の内容で作成されてはいるが、各事業所毎に作成適用されているということは、要するに労働者から見れば、興和株式会社名古屋工場に勤務する場合と興和新薬に勤務する場合とでは、その適用さるべき就業規程を異にするのであり、又三社の従業員は、三社間を異動してもその労働条件において異なるところは全くないというが、賃金体系等についての違いはなくても、勤務場所、職種こそ労働条件における重要な要素としてその違いが問題とされるべきものである。
賃金さえ変わりがなければ、会社が労働者に対し、意のままに職種、勤務地を決定し、更には変更でき、それらは労使が対等に決定すべき労働条件に当らないとする会社の態度は、ただでさえその古さが問題となつている現在の労働法秩序の水準より大きく後退しているものと云わねばならない。
3 同主張3のうち、三社が社員区分について共通の制度をとつていること、疎乙第九ないし第一二号証に被申請人主張の記載があることは認め、その余は否認する。本社採用資格社員の求人については、会社主張と事実は明白に異なり、「本社採用社員」である申請人の場合、興和株式会社名古屋工場からの求人に応じ(本店ではない)、或いは大学卒のK君の場合、三社それぞれ別異の求人があつた中でそのうちの興和株式会社からの求人に応じている。
又、入社試験についても、申請人の場合、興和株式会社名古屋工場労務課からの通知で入社試験は受けており採用についても三社それぞれが辞令を交付している。更に入社式の案内等についても同様である。ただ、入社案内、会社案内等のパンフレツトが三社共通のものとして作成交付され、入社試験を同一場所で同一日時に行うというだけである。これをもつて「一括求人・採用」と称するとしても、そこにはことさらかような採用方法を主張すべき何の実態もないといわねばならない。
疎乙第九ないし第一二号証の全ての末尾に小さく、「この求人は興和(株)、興和新薬(株)、興和紡績(株)、三社の求人を一括して行うものです」旨明記してあることは事実であるが、三社或いはそれぞれの事業所が各別に大学宛、高校宛の求人票を提出し、求人票によつて入社希望者が求人に応じているのであるから、かようなパンフレツトの記載は、意味を持たせようとすること自体、こじつけとしか云いようがない。
又将来の幹部候補生として採用される者ならばともかく、「国内および国外における商取引の第一線で活躍する」ことが予定されているはずもない一般の労働者にとつて、人事異動がありうるとの被申請人主張のような求人あるいは採用段階での説明が、仮にあつたとしても自分にかかわりのあることと受けとめられるはずもなく、又他の長い説明の一部分に軽く触れられるという程度のものであつたのである。
4 同主張4は否認する。
(1) 即ち、会社の云う疎乙第九乃至一一号証のパンフレツト類が一括求人・採用を意味しないことは前述したとおりである。
又採用時に採用担当者による三社間の出向の「説明」なるものも特になかつた。かえつて、会社が、申請人の出身学校へ、職業安定所を通じてなした求人によれば、求人者は興和株式会社名古屋工場、職種は技術職、作業内容は医薬品の合成から製品作業、試験研究というものであり、かつ名古屋工場労務課員が直接、申請人の出身校を訪れ求人活動を行つた。申請人はこれを受けて会社に応募し、右求人内容で入社したのであり、会社の主張する社員区分によれば、実態としては、まさしく「事業所採用社員」と云わねばならない。
更に、三社による新入社員教育の機会に、テキストの一部分に、被申請人指摘の「人事異動も社内転勤という考え方で広く……」との文面があつても、右人事異動に全面的に承諾を与えたことにはならない。しかも右教育の場で、新入社員が異をさしはさむ発言をしなかつたとしても、これをもつて右承諾を擬制することは行き過ぎである。
(2) 申請人は、会社名古屋工場勤務として職場を特定され、薬品試験係として職種を特定されて会社に入社したものである。即ち、
(ア) 従来被申請人においては、「本社採用」と「工場採用」の区別を、後者について中卒男子および女子とすることにおいていたが中卒男子の確保の困難さという全国的傾向の折から、昭和四六年頃より工場勤務者を「本社採用」の高卒男子で補充するようになつた。又従来の「工場採用」については、当該工場の見学の後、入社試験を受けさせる通例であつたが、このことは右に述べた「本社採用」の高卒男子においても同様であつた。従つて申請人が名古屋工場勤務者として採用されたか否かは形式的に「本社採用」か「工場採用」かで決まるものではなく、以上の経過と申請人の採用及び勤務の経過から決すべきものである。
(イ) 申請人は昭和四六年愛媛県立北宇和高校食品化学科三年に在学中、会社名古屋工場からの求人申込みに応じ、同工場を、同工場の労務係員の案内で見学し、又その際、試験課勤務であると説明を受けて人社を決め、その後同工場労務課より本社入社試験の通知を受けたものである。又工場勤務後、一貫して現在の試験係の業務に従つてきたものであり、以上の事実から、申請人が、名古屋工場勤務者として、職場を特定され、かつ在学時代の専門と経験をいかした試験課員として職種を特定されて来たことは明白である。
(三) 被申請人の主張(三)について
1 同主張1は争う。
2 同主張2は争う。
出向については、契約当事者の変動であり、転勤の場合以上に労働契約の重大な変更として、その同意が必要であり、その同意については、労働者の入社時の労働契約等の一般的根拠のみでは足らず、当該個別的出向先との関係で、出向の内示を受けた労働者の個別的同意が必要である。
被申請人は、出向の場合、その同意が「その都度である必要はなく、包括的なものでも、又明示的のみならず黙示的のものであつてもよい」と主張するが、きわめて独自の見解である。しかも、本件出向命令については、そのいずれの同意も存在しない。
3 同主張3は争う。
入社の際に、労働契約の内容として、包括的同意があるとの主張は、事実に反する。申請人は、興和株式会社名古屋工場に勤務するとの内容で入社したのであり、実質が、会社の云う「事業所採用社員」として、その転勤すら予定されていないものである。
又入社面接或いは新入社員研修において、会社が出向がありうることの説明をしたとしても、単に一般的な説明にとどまり、申請人が、これに明示的に同意したというものではなく、これのみでは、申請人が将来行われるかもしれない出向につき、その出向先と勤務内容等の労働条件を包括的に同意したものと認めることは出来ない。
4 同主張4(1)は争う。
会社では、雇傭関係にまで三社一体性を持込んだ反映として就業規則、労働協約上も著しい不備、あいまいさを残している。
要するに、会社の労働協約、就業規則では、転勤と出向についてその区分が明らかとはいえず、又出向に関する従業員の同意の必要性の要否についても明らかとされているとは云えないのである。
申請人の本件人事異動が出向である以上、その個別具体的な同意を要するというべきであるが、この点で労働協約、就業規則において出向の定めがあるときには、右個別具体的な同意を要しないとの考えに立つとしても、右の労働協約の出向に関する規定は、そのあいまいさから、申請人の個別的労働契約を当然には規律するものではないと云うべきであり、申請人の具体的な同意なき本件人事異動即ち出向は無効である。
同主張4(2)のうち、申請人は本件命令時化学労組の組合員であつたこと、会社及び興和紡績の労働協約二三条に被申請人主張の文言があることは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。
会社は、労働協約二三条を根拠として主張するが、この規定は、出向の場合に会社から組合に対してその氏名を事前に通知すると規定しているだけで、どういう場合に出向を命じうるのかについては勿論、同意なしに命じうるとの根拠はどこにもない。
同主張4(3)のうち、会社名古屋工場の就業規則に被申請人主張の文言があることは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。
会社は就業規則六条の規定をもつて、出向につき労働者が労働契約の内容として包括的同意を与えたと主張するが、そもそも、就業規則のうち労働基準法の労働条件を低める部分はその効力を有せず、その点で使用者を拘束するものであるから同規則六条のように出向に対して労働者に拒否の自由を許さない条項は、契約自由の原則、労働契約労使対等決定の原則に反し無効である。
又就業規則を認めて採用されたということは、個別的労働条件を規律するということにつながるとしても、当該使用者との契約関係を離れる出向という労働者の一身専属的権利についてまでの法的根拠とはなりえないと云わねばならない。
しかも、仮に就業規則六条が有効であるとしても、就業規則が本来一般的労働関係を規律するものである以上、個別的労働契約に定めのない部分について、はじめて、その条項が契約内容となつていると見るべきところ、申請人は、前述のように興和株式会社名古屋工場に勤務地を特定され、かつ検査課員としてその職種を特定されて入社したのであるから、会社と申請人の個別的契約が就業規則の規定に優先するのである。
5 同主張5の事実は否認し、主張は争う。
被申請人は、過去一〇年間に、三社間の異動人員が延べ二一八名であることをもつて慣行の存在を主張するのであるが、幹部候補生、役員等についてまで含め、しかも延人員であるこの数だけから、現場での労働者内における慣行の存在までおしはかることは出来ないはずである。
しかも出向制度が慣行として確立していると云えるためには、当該慣行が企業社会一般において労働関係を律する規範的な事実として明確に承認され、或いは当該企業の従業員が一般に当然のこととして異議をとどめず当該企業内においてそれが事実上の制度として確立しているものであることを要する。しかも、わが国の企業における実状からすれば、労働者が業務上の必要ありとして会社より出向を命ぜられた場合、それを拒否すれば将来の地位、職種等に不利益を蒙るであろうとの危惧を抱くことは極めて自然であるから、これまで、会社の出向命令に応じてきた事実をもつて、会社の労働者一般が出向の義務を明らかに是認していたものと認めることは出来ない。
従つて、被申請人主張の事実から、慣行の存在を裏付けることは出来ない。
かえつて会社より興和新薬への定期的な出向が、ようやく昭和五〇年より開始されたとの事実は、この慣行の不存在を裏付けている。
又本件人事異動と同じ会社名古屋工場から新薬への異動は、課長以上の管理職を別にして、昭和三九年以降、五〇年一〇月の本件異動に至るまで皆無であつた。
五 再抗弁(申請人)
(一) 本件命令は、以下に述べる如く、業務上の必要性と人選の合理性を欠き、また申請人に多大の苦痛と不利益を強いるものであるから権利の濫用として無効である。
1 申請人は本件命令当時名古屋工場試験係として勤務していたところ、試験係は係員六名全員で一チームを構成し、人員不足で日々の業務を処理し切れない状態にあつた。従つて申請人を出向させた場合には、試験係業務に支障を生ずることは必須であり、本件出向によりかえつて新たに人員を補充しなければならないという不合理が生ずる。
又申請人は、入社以来本件異動に至るまで、試験係員として完成した薬品の形状、寸法、色等の外観を検査する職務に従事しており、一方本件出向先の興和新薬での業務内容は、薬局、病院へ薬品をセールスし、必要に応じて薬品の効果等を説明するいわゆるプロパーであり、申請人のこれまでの技術と出向先の業務内容とは全く関連性及び必然性がないことは明らかである。
2 会社は、本件命令が、昭和五〇年以来実施している営業部門強化の一環であると主張するが、この主張には根拠がない。
即ち、興和新薬の社員名簿によると昭和四九年以降の営業人員数および興和株式会社、興和新薬、興和紡績の三社の新規採用者数の変化は次表のとおりである。
年 月
営業人員
(但し重役3名及管理部門除)
新規採用
薬学系大卒
技術系大卒
高卒
事務系大卒
昭和四九年
(一二月)
三三四名
四三
一七
一八
九一
〃五〇年
(一二月)
三三五名
三一
一六
八
五七
〃五一年
(一二月)
三三七名
三
〇
〇
二三
〃五二年
一三
〇
二
二〇
以上の事実からは、営業部門強化というものが、出向のための口実として使われているにすぎないと云わざるを得ない。
更に、昭和五〇年以降富士工場と名古屋工場へ出向させられた労働者のうち既に退社した者は現在判明しているだけで次表のとおりであり、他にも退社を考えている者が数名存在している。
年月日(昭和)
富士工場
名古屋工場
五〇年一一月七日
二名
二名
五一年三月二七日
一名(退社)
二名(うち一名
退社)
同年九月九日
〇
一名(退社)
五二年四月一日
三名
二名
以上の事実からは、本人の意思に反して出向させた結果は結局営業に意欲を持てず退社せざるを得ない事態に労働者を追込み、会社にとつて「営業部門の強化」にはならないことを示している。会社がこれらの事実を熟知しながらなおも労働者を出向させようとすることは、結局なしくずしの解雇を狙つているといわざるを得ないのである。
3 被申請人は最近の製品に対する苦情が、変色、亀裂等製剤の外観変化に関するものが多いと主張するが、仮にそのような事実があるならば、より一層工場部門での試験業務部分の充実をはかること、すなわち変色、亀裂等の根本原因を追及し改善することが営業強化のために必要なはずであり、被申請人の主張は逆立ちしている。結局、被申請人のいう「苦情」は、申請人を興和新薬へ出向させるための口実と断ぜざるを得ない。
又被申請人は、申請人の名古屋工場における業務と出向先での、いわゆるセールス、プロパー業務とが密接な関連性を有する旨主張するが、申請人は入社以来一貫して外観経日試験に従事してきたものであり、薬品の効果等に関する知識、経験を一般的にしか有しないのである。このような申請人をセールス、プロパーにまわしたとしても、被申請人のいう「営業強化」の方針とは一致しないことも亦、明白である。
4 被申請人は、本件命令の必要性につき、外観変化を防止するための製品の使用・保管方法等を、根拠を示して説明するには外観安定性試験を経験したものが適切であるとする。
しかし、本件命令と同時期に、興和新薬へいわゆるセールス、プロパー業務のため出向を命ぜられた一五名には、興和紡績、興和富士工場等の者も含まれ、外観安定性試験の経験の無い者がいる。しかも、申請人が、本件命令に、異議をとどめながら赴任した興和新薬の赴任者全員に対する研修内容では、外観変化を防止するための製品の使用・保管方法等に関する研修は全く考えられていないと云つてよく、この点でも被申請人の主張こそ、疑わしいかぎりである。
5 申請人が興和新薬へ出向させられる旨の話が出た頃、被申請人会社名古屋工場試験係の職場では、前述の如く申請人の異動により、人手不足が必然となる状態にあつたこと明らかである。
そもそも、被申請人主張の「苦情」が真実であるとすれば、申請人を出向させるどころではなく、試験係の人員補充を含め、一層の強化がなされねばならないところ、ただでさえ、従来一週間毎に検査すべき保存サンプルの検査を一か月も二か月もかかつて実施しているという現状である。
又被申請人は、試験係の担当業務のうち、新製品や改良製品の苛酷試験を製造研究課に移すこととなつている旨主張するが、このような事実は、本件答弁書において突如主張されたものであり、現場の者は誰も知らず、本件内示以降の工場長らと申請人の交渉においても一度も出されておらず、従前からの案ではなく、被申請人が苦しまぎれに作り出した合理化案であるといわねばならない。
因みに、厚生省のGMP(医薬品の製造及び品質管理に関する基準)によれば、その九条三項で、品質管理責任者は、製造責任者を兼ねることはできない旨定められており、いわば「作る人が自らテストする」形態が、本来薬事行政のうえでも好ましくないとされているわけであり、会社の前記移管は、それ自体不合理でもある。
(二) 申請人に対し、興和新薬勤務を命ずることは不当労働行為に当るから本件命令は無効である。
申請人は、会社従業員約二〇〇〇名をもつて組織する全興和労連の組合員であり、昭和四八年四月から五〇年三月まで支部委員、教宣第二部員、昭和四九年四月の中央定期大会代議員として活発かつ正当な組合活動を展開し、中でも工場内における二部作業廃止活動において大きな役割を果してきた。
会社は申請人のこの組合活動を嫌悪し、申請人と立場を同じくして活動する労働者の周辺の労働者の配転、転勤、出向を命ずる等の措置をとりつつ、職制を通して申請人の周囲の労働者に対し、申請人とは話をするな、等言つて孤立化を図り、又期を一にして、全興和労連としても申請人らの活動を敵視し排除しようとするなどの労使一体となつた攻撃がかけられて来た。そのため昭和五〇年四月以降申請人は、支部委員、中央定期大会代議員に立候補落選する結果となつたのであるが、あくまでも、職場を明るくし、労働組合の階級的民主的強化のために組合活動により一層専心してきた矢先、本件命令があつたものである。
興和新薬の労働組合は、これまでの全興和労連に属さない別異の組織であり、しかもセールス、プロパーとして一日中外勤することになり、労働組合活動は事実上不可能となる。
申請人は全くの異職種、遠隔地への出向については、その内向的性格や労働組合活動を強化したいとの志向に反するものであることから大変な苦痛を感じているが、本件命令は、申請人の組合活動を嫌悪し、全興和労連に加入していない興和新薬への出向を命ずることにより申請人の組合活動を不可能にすることを企ててなされたものであるから、これは労働組合法七条一項に違反し無効である。
(三) 会社は、申請人を日本共産党員であるとみてその故に興和新薬への出向を命じようとしているのであるから、思想、信条による差別として憲法一四条、労働基準法三条に違反し無効である。
六 再抗弁に対する認否及び反論
(一) 再抗弁(一)1のうち、申請人が名古屋工場試験係として勤務していたこと、右試験係は係員六名全員で一チームを構成していたこと、申請人が入社以来右試験係員として、完成した薬品の形状、寸法、色等の外観を検査する職務に従事していたこと、及び申請人が興和新薬で担当する業務内容が、薬局や病院へ薬品を販売し、必要に応じて薬品の効果等を説明するいわゆるプロパーであることは、いずれも認めるが、その余は否認する。
本件命令が合理性を有することはつぎに記述するとおりである。
1 業務上の必要性について
(1) 本件異動は、昭和五〇年夏頃三社の常務会において決定された方針である、興和新薬の営業部門の強化を達成するため、昭和五〇年一一月七日以来今回の配転までに五回にわたつて実施された、会社及び興和紡績から興和新薬への人事異動の一環としてなされたものである。
即ち、会社の医薬事業部生産部門で生産された医薬品は、全てその販売部門たる興和新薬により販売されるため、興和新薬の薬品販売量が増加することにより、当然会社の業績も上がることになる。
ところで、会社の業績は昭和四八年末のオイルシヨツク以降、漸次下降線をたどり、昭和四九年及び五〇年度の経常利益は大幅な赤字を計上することとなり、会社製造医薬品の販売部門たる興和新薬の経常利益との合計においても、なお赤字を計上するのやむなきに至つた。
右興和新薬を含めた会社の経常利益低下の原因は種々あるが、医薬品部門に関して述べれば、オイルシヨツクによる原価高、人件費の増大傾向によるところも大であると同時に、右原価高、人件費の増大に比して興和新薬の売上率が伸びなかつたことによるものである。
このことは、薬品の製造・販売を業としている他社の売り上げ伸び率と興和新薬の売上げ伸び率とを比較してみるとおのずから明らかとなる。
従つて会社は、右会社の経常利益の赤字、ひいては会社医薬品部門の利益低下及び売上げ伸び率の伸び悩み傾向の中で、昭和五〇年中頃、常務会において、薬品部門の赤字傾向ひいては会社の経常利益の赤字を解消するためには、薬品部門の研究、生産部門の人員を削減して、一人当りの生産原価を低くすると共に、薬品の販売力、販売網を順次増強、拡大する必要がある、との方針を打ち出した。そしてその結果、昭和五〇年以降会社薬品部門の営業強化の一環として継続的かつ定期的に会社名古屋工場、同富士工場から興和新薬へ人員を補強することとした。
そして、右決定に従い、昭和五〇年一一月七日より現在まで、富士工場及び名古屋工場から興和新薬へ左のとおりの転勤が実施された。
(昭和)
富士工場
名古屋工場
五〇年一一月七日
二名
二名
五一年三月二七日
一名
二名
同年九月九日
〇名
一名
五二年四月一日
三名
二名
同年一〇月三日
三名
二名
五三年三月三一日
三名
二名
同年九月二〇日
三名
三名
五四年三月八日
三名
二名
(2) 昭和五二年九月初め頃、会社医薬事業部副事業部長兼新薬営業部門部門長下山修三(以下下山という)は、前記の定期異動の方針に基づき、当時の会社医薬事業部製造本部長兼富士工場長であつた森弘(以下森という)に、富士工場及び名古屋工場から興和新薬へ転勤させる適任者を数名人選するよう指示し、これを受けて森は、同月五日、当時の会社医薬事業部名古屋工場長であつた市古宜雄(以下市古という)に名古屋工場からの興和新薬への転勤の適任者を二名至急入選するよう指示した。
そこで市古は人選にとりかかり、人選の大きな方向をきめ、さらにそれぞれの担当課長とも相談の上、本人の適性、家族環境、業務の関連性など様々な観点から判断して、最も適任と思われる者として、試験課からは申請人を、製造課からは安田健一を、それぞれ選んだ。
(3) 同年一〇月四日、市古は申請人に対し、興和新薬総務本部への転勤を命じるとともに、総務本部でプロパー業務のための研修が行われるので、これに参加できるように、一〇月一一日までに東京の総務本部に赴任するよう指示し、併せて、研修終了時に配属営業所が決定されることを申請人に説明した。そして市古は申請人に辞令を交付しようとしたところ、申請人は、辞令の名義が興和新薬となつていることを理由に、右辞令の受領を拒否した。
別に述べるとおり、三社は一体であつて、辞令の名義が興和新薬となるのは極く当然のことであり、また今回をふくめ、それまでの会社から興和新薬への転勤は、全て興和新薬名義の辞令で行なわれていたのではあるが、申請人が辞令の名義上のことだけで手続きが進まないのでは困るため、便宜上、会社は同月六日、会社名義の、会社より興和新薬への転勤を命ずる旨の辞令を作成し、(但し、命令は既に一〇月三日発せられているので、日付は三日とした)これと、前述の興和新薬名義の辞令を申請人に交付しようとしたところ、申請人は、会社名義の辞令だけ受領した。会社が、その際にも、前述の興和新薬総務本部への転勤命令を再度示達したことはいうまでもない。
なお、前述の興和新薬名義の辞令に転勤先が総務本部となつているのは、右総務本部(場所は東京支店)で、プロパーに必要な知識の研修を行い、この研修結果を勘案の上、さらに配属すべき営業所をきめるためであつて、暫定的なものであり、最終的には営業部門へ転勤となるものであることは右辞令交付時に申請人に説明ずみであつて、申請人も十分これを知つていた。
2 人選の合理性について
(1) 会社が、本件の人事異動で申請人を人選したのは、業務の関連性、本人の年令、性格、家庭環境等、あらゆる方面から見て、合理的に判断した結果によるものであり、右人選には何人も異論を挾む余地のない程十分合理性を有するものである。
(2) 前記のとおり、昭和五二年九月五日、森から市古に対し、名古屋工場から興和新薬へ転勤させる適任者を二名至急人選するよう命令があつた。
市古は右命令を受けて、これまでなした名古屋工場から興和新薬への転勤は、すべて製造課、製造研究課及び試験課から人選していたため、今回も右三課から人選することとし、右三課のうち、バランスを考え、試験課及び製造課から各一名ずつ人選することとした。従来三課から人選してきた理由は、これらの三つの課の業務内容が、プロパーとして業務を遂行する上で応用出来る知識と比較的関連性があり、又これら三つの課には、機能順応性の高い若い社員が多い、という点にあつた。
又市古は、名古屋工場へ持込まれる当時の製品に対する苦情のうち、変色、亀裂等、製剤の外観変化に関するものが半分以上を占める程多かつたため、試験課から人選する者については右の外観変化について、末端に対し、十分説明出来るものを選出しようと考え、沢田試験課長と相談したところ、試験係が適任であるとの結論に達したので、試験係より一名人選することとした。
(3) そこで市古は右沢田と、当時試験係であつた六名(中島昌典、小川広忠、石塚日利、舟橋敏夫、片山美佐子、申請人)の各自につき逐一検討を加えた。その結果は、次のとおりである。
中島昌典は、当時試験係の主任的地位にあつたため、同人を興和新薬に転勤させることは、外観安定性試験の作業に支障を生ずるおそれがあり、不可能であつた。小川広忠は、当時結婚したばかりであるため、営業部門へ転勤させるのは酷であった。石塚日利は、二年程前に大病したことがあるため、営業部門を担当させることは、体力的にまだ無理であつた。舟橋敏夫は病弱であるうえに、学歴も中学卒であつて事業所採用資格社員であり転勤に適さない。片山美佐子も、事業所採用資格社員であり、女性であるため、営業に適さない。以上のような理由により、五名の者は人選からはずさざるを得なかつた。
そこで、市古は沢田と相談のうえ、残る申請人について考慮したところ、申請人は、高校卒の本社採用資格社員であり、年令も若く、独身であつて転勤は容易であり、これまでの勤務状況からみて、営業マンとしての事務処理能力及び対人折衝能力も十分であり、他に興和新薬への転勤につき支障となるような事情も見出せなかつたので、申請人を適任者として人選し、申請人の興和新薬への転勤を決定した。
(4) 以上のとおり、申請人を人選したことは極めて合理的、妥当なものであるが、更に申請人の転勤前の業務と転勤後の業務につき説明を補足すると次のとおりである。
(ア) 申請人は、本件異動までは、試験係として勤務していたものであるところ、試験係の具体的業務について詳述すれば以下のとおりである。
a 一般に医薬品は化学物質であるので、長期保存するときには何らかの変化が生ずる場合が多い。従つて各製品について長期保存後の品質を保証するためには、苛酷条件下で試験を行い、短期間のうちにその変化を予測しなければならない。
しかして医薬品の外観の面からその予測を行うことが試験係の義務である。
b そこで試験係において具体的に行われている業務は、まず主として次の通りの苛酷試験があげられる。
<1> 耐熱性試験 室温及び加温条件下(四〇度、五〇度)で保存し、その変化を追跡する。
<2> 耐温性試験 温度(室温三七度)及び湿度(相対湿度八〇パーセント、九一パーセント)を加味した条件下で保存し、その変化を追跡する。
<3> 耐光性試験 キセノンランプ、直射日光を照射したり、室内散乱光による変化を追跡する。
右各試験の対象医薬品は中間品及び量産実験品であり、試験項目は、その性状として色・におい・形(ヒビ・キレツ・パンク・固化)・PH・沈殿等、性能として崩壊度・溶出である。
c その他の業務として、保存サンプル試験及び製品試験がある。
<1> 保存サンプル試験 室温で長期間保存しておいたサンプルを右のような試験項目について検査することにより、先の苛酷試験との関係を知るためのものである。
即ち苛酷試験による予測をより正確にするためのものである。
<2> 製品試験 包装終了後の製品について前記の性状の異状の有無・量目の正確さ・包装仕様の正確さ、表示の正確さをチエツクするものである。
d 以上が、試験係の業務内容である(その他若干の雑務もあるが、本件とは直接関係がないので、省略する)が、右各業務内容は、試験という言葉を使用しているが、主として各対象医薬品を目で見て記録をなすということが多く、ことさら専門的知識・技術を要するものではなく、通常の者であれば、数カ月も右業務にたずさわつていれば一人前になるものである。
しかして、申請人は試験係の業務を経験しているので、医薬品の外観変化については、相当な専門的知識を有していたものということが出来る。更に申請人は、四年有余にわたる医薬品製造工場における勤務経験から、医薬品に対する相当な知識を取得していることは云うまでもないところである。
(イ) 次に、申請人の現在の勤務先である興和新薬高松営業所における申請人自身の業務内容は次のとおりである。
高松営業所において申請人は、プロパーとして勤務している。プロパーは、更に主として卸問屋、薬局及び薬店を訪問して、商品説明を行い、医薬品の販売促進を担当する「薬粧部」と、卸問屋、病院、診療所及び開業医に対して学術宣伝情報を伝達し、販売促進を行う「新薬部」に分かれているが、申請人は「薬粧部」に所属している。
そして、薬粧部営業部員の基本的な業務は、卸問屋、薬局及び薬店に対し販売する医薬品や医薬部外品等について、その本質である「有効性」と「安全性」を周知徹底せしめると共に、過誤のない用法、用量及び保管方法について説明し、販売促進を行うことである。又右業務に付随する重要な業務は、販売先及び末端消費者からの会社製品或いは医薬品全般についての要望、意見、苦情等を積極的に吸収し的確な処理を行うことである。
(ウ) ところで、プロパーの業務は、申請人のように直接医薬品の製造に関係のある試験係の業務に携わつてきた者にとつて、そこで得られた知識と、経験が充分役立つものであることは自明のことであり、又末端消費者からの苦情のうち、外観変化に関するものが多いことからすれば、申請人の名古屋工場における業務と、高松営業所における業務には、充分な関連性があるといえるのである。
(エ) 更に興和新薬は今回申請人をプロパー業務に従事せしめるにあたり、一カ月余の研修期間を置き、他の者とともに、プロパーの初歩からの教育をした。
(5) 又申請人の現在の勤務状況からみても、申請人を人選したことが妥当であつたことは明らかである。
即ち、申請人の高松営業所での勤務はまじめであり、業務に対する努力も怠つておらず、プロパー業務をほぼ支障なく遂行している。更に担当業務内容の変化については、当初は、多少のとまどいがあつたかもしれないとしても、年齢的に若く、適応力があるため、十分これに対応している。
更に申請人は、本件転勤によつて格別の不利益を受けていない、といつても過言ではない。
以上は、申請人を人選したことが、業務上の関連性からも、本人の適性からも、家庭環境等その他もろもろの事情からも総合的に判断して、極めて合理性ある妥当なものであつたことを如実に示しているものと云える。
(二) 再抗弁(二)のうち、申請人が全興和労連の組合員であること、興和新薬の労働組合が、全興和労連に属さない別異の組織でであることは認めるが、申請人が、昭和四八年四月から昭和五〇年三月まで支部委員、教宣第二部員、昭和四九年四月の中央定期大会代議員として活発かつ正当な組合活動を展開し、中でも工場内における二部作業廃止活動において大きな役割を果してきたこと、及び昭和五〇年四月以降、支部委員、中央定期大会代議員に立候補したが落選したことは、いずれも不知、その余は全部否認する。
又興和新薬の全従業員並びに会社及び興和紡績株式会社(以下興和紡績という)の営業担当事業所勤務従業員は、別に興和労働組合を組織しているが、興和労働組合と全興和労連とは、要求の設定、闘争スケジユール及び妥結水準等について、緊密な連絡をとりながら活動している。
(三) 再抗弁(三)は否認する。
第三疎明関係<省略>
理由
一 申請の理由(一)項中、申請人が名古屋工場勤務者として採用されたこと、会社が発した内示が大阪支店勤務を命ずる旨の内示であつたこと、申請人が、興和新薬への本件異動については、異議をとどめてこれを受けとるつもりであつたこと、名古屋工場長が、辞令及び就業規則に基づき昭和五二年一〇月一三日までに赴任せよと云い赴任先については、当日朝聞きに来れば話すと述べたことを除き当事者間に争いがない。
二 そこで先ず本件命令の性質につき判断する。
(一) 会社と興和新薬との関係並びに社員採用手続について
前記一掲記の事実に成立に争いない疎乙第一ないし第四号証、第八ないし第一三号証、第一五、一八、三九号証、証人藤田高堂の証言及びこれにより成立を認められる疎乙第五ないし第七号証、第二一号証、第二五号証(欄外の記載以外は成立に争いがない)、第二七ないし第二九号証、第三一ないし第三三号証、第四〇号証、弁論の全趣旨により成立を認められる疎乙第二〇号証の一ないし一二、証人市古宜雄の証言及び弁論の全趣旨を併せ考えると以下の事実が認められる。
1 三社の関係について
会社は、興和紡績及び興和新薬と共に、二〇数社の関連会社が形成している通称「コーワ・グループ」の中核会社であり、事業目的は、医薬品の製造等である。その資本金は一八億円、従業員は昭和五二年一二月末日現在で約二四〇〇名である。会社は、名古屋市に本店を有する外、事業所として東京等三支店、札幌等四出張所、一研究所、四工場、三センターを有している。会社の事業は生産部門と商事部門の二つに大別され、このうち生産部門については、更に医薬品の開発、製造、品質管理を行う医薬事業部と電機光学製品の製造、販売を行う電機光学事業部に分かれ、商事部門は、各種素材の繊維製品の商取引を行う繊維事業部と繊維以外の各種の物質、商品の商取引を行う非繊維事業部に分かれている。
興和新薬は、会社と共に、コーワ・グループの中核を占めているが、会社の医薬事業部で研究、開発、製造される医薬品検査用試薬等の販売活動を担当する資本金一億円の会社であり、従業員は昭和五二年一二月末現在で約五八〇名である。興和新薬の本店所在地は、会社のそれと同一であり、事業所としては、東京等四支店、札幌等四出張所、高松等九営業所がある。部門としては、主として薬局、薬店を訪ねて商品説明を行い、販売、促進をはかる業務を担当する薬粧部と、病院、開業医を訪ねて商品説明を行い、販売促進をはかる業務を担当する新薬部に分かれている。
これら三社設立の沿革は明治二七年に遡る。その年に創設された服部兼三郎商店(綿布問屋)は、大正元年個人経営から会社組織に変更して株式会社服部商店となつたが、昭和一四年当時の商工省の指示に従い、綿紡織部門と商事部門とを分離し、綿紡織部門は興和紡績に、商事部門が会社になつた。更に会社は、第二次大戦後、医薬品製造業にも進出し、その充実、発展に伴い、昭和二九年にその販売部門を担当すべく、興和新薬が設立された。右興和新薬設立の経緯は、当時会社(当時の商号は興服産業株式会社)が製造する医薬品の販売を株式会社中村滝商店を通じて行つていたところ、同商店の経営が行き詰つたために、会社で製造する医薬品は、会社自ら販売するということで設立されたものであり、いわば会社の販売部門の設立といえるものであつた。
2 三社の運営について
三社の取締役社長は昭和三四年八月以降いずれも三輪隆康であり、吉野金三郎その他三社間の役員、役職を兼務している者は非常に多い。
三社の経営にかかわる事項についての立案、決定をする諸会議は、取締役会、常務会、店長・工場長会議等の上級会議から、社員管理に関する労務部会等の下級会議に至るまで、常に三社区別することなく合同で開催されている。
三社の本店は、全て興和ビルという同一の場所にあり、同ビルの中では、三社の業務が実質的に一体として行われている(例えば、三社には形式的には人事部が存在するが、各別に人事業務を行う部屋を置かず、三社の人事部として同一部屋で全ての人事部員が三社の人事業務を手分けして共通に行つている。)
3 三社の従業員について
就業規則を始めとする三社の各諸規則、諸規定も就業規則等各事業所の実態に即して作成されるものを除いては、殆んどのものが三社共通に作成適用され、三社の従業員は、三社間を異動してもその労働条件において大部分が共通である。その結果三社間で如何なる異動をしても、例えば退職金、退職年金支給の基礎となる勤続年数は相互通算されるし、出張旅費、慶弔・見舞金等も全て同額である。又各種の社会保険に関する事項、社宅、保養所等福利厚生の面においても、三社共通に取扱われている(但し三社の従業員の加入している全興和労連と興和労組は、会社側との交渉に当つて緊密な連絡はとり合つているが上部団体或いは生産事業所と営業事業所との差異等から、要求の設定、妥結条件等は別々になつている)。一方コーワ・グループには、化学労組、光器労組、紡績労組、興和労組の四組合が存在する。化学労組は会社の医薬事業部の生産研究事業所従業員により組織され、光器労組は、会社の電機光学事業部の生産事業所の従業員により組織され、紡績労組は、興和紡績の生産事業所従業員により組織され、興和労組は三社の営業(非生産)事業所の従業員により組織され、そのうち化学労組、光器労組、紡績労組の三組合は全興和労連を組織しており、全興和労連はゼンセン同盟の傘下に属している(以上の事実は当事者間に争いがない)。
4 三社における社員採用手続について
(1) 三社は、社員区分について共通の制度を採つており、その大要は以下のとおりである。
本社採用資格社員
おおむね高校卒業以上の学歴を有する者で、三社の本店が、後に認定する「一括求人・採用」方式によつて、職種、勤務地を特定しないで採用した社員であり、本店採用資格社員ないし等級社員とも呼ばれている。
事業所採用資格社員
学歴は、主として中学校、高校卒業の者で、三社の各社の各事業所がそれぞれ独立して求人活動を行い事業所毎に採用した社員であり、原則として他事業所への異動は行わない社員であり、事業所採用資格社員と呼ばれている。
そして右本社採用資格社員と事業所採用資格社員は、三社において人事、賃金体系等において区別されている。
(2) 本社採用資格社員の採用については、一括求人・採用方式をとつている。これは三社を全く共通の経営体とみて、その中で会社の人事部が主体になつて同一基準で求人、選考、採用を行い配属をきめる方式である。具体的には、会社の人事部が主体になり、三社共通の入社案内、会社案内等のパンフレツトを作成配付すると共に、入社試験を共通に行う(採用内定は、一応会社の名で行い、その後三社のいずれかへの配属を会社人事部が行う。正式採用は、配属先という意味で、右三社のうちの各社の名義で入社式に辞令を出すことによつてなされる。そして後日社内配転と同一手続によつて各社間での異動が行われる)。
そして以上の採用方式は、入社案内等のパンフレツトに明記され、求人の際に応募者に対しても、学校事務局や教員等にも明示される。又応募者の会社訪問、求人説明会、採用担当者の学校訪問等の機会に口頭で説明し、面接段階に至り、三社の一体性、人事交流の頻繁性その手続が社内配転という考え方で広く行われていること等を伝えている。又採用内定後の新入社員教育テキストが内定者に送付されるが、これにも三社の人事異動が社内転勤という考え方で広く行われる旨記載されている。
5 申請人の採用について
申請人は、昭和四七年三月、一括求人・採用により本社採用資格社員として職種の特定も、勤務地の特定もなく、三社に採用され、会社に配属され名古屋工場において就労してきた。
申請人は昭和四六年七月当時愛媛県立北宇和高校食品化学科に在学していたところ(この点は当事者間に争いがない)、会社名古屋工場労務課員伊藤は、同校に行き、同校進路指導室において、同校食品化学科長同席の下に、三社の一括求人に応募する意思表示を示していた申請人に対し、次の内容にわたる本社採用資格社員の求人説明事項の外、三社の事業内容、雇傭条件等につき詳細な説明をした。即ち、伊藤は、本社採用資格社員の求人説明の際必ずなすべきとされている事項(会社より説明を指示されていた留意事項)として、申請人に対し(ア)本社採用資格社員は三社一括求人・採用であること(イ)本社採用資格社員は事業所採用資格社員と異り、勤務地及び職種を特定せず、三社の幹部候補社員として採用すること(ウ)本社採用資格社員は、将来三社間を社内転勤と同一手続によつて異動を命ぜられる可能性があり、その異動は、社内で頻繁に行われていること(エ)本社採用資格社員の採用決定権は、本店にあるので、自分は名古屋工場の求人担当者であるが、本店人事部を代理していることについて説明したところ、申請人は無言でうなづいていた。特に申請人は、技術学科を卒業しても、職種を特定しないで採用するという雇傭条件については、伊藤自身電気科を卒業しているにも拘らず、医薬品の製造に携わりなおかつ当時労務課に所属して求人業務をしているといつた経験談を交えながら説明したりした。
又会社作成の本社採用資格社員求人用のパンフレツト(その中には三社の一体性、三社の一括求人・採用、三社間の異動の可能性等が明示されている)も申請人に同日頃交付されていた。更に申請人は、昭和四六年八月頃会社名古屋工場を見学し、その際伊藤が工場を案内すると共に、申請人に対し、三社の一体性、三社間では、社内転勤という考え方で、頻繁に人事異動が行われており、申請人が当初いずれの事業所に配属されるか分らないが、勤務先が当初の事業所に特定されるわけではなく、会社の他の事業所或いは、興和紡績、興和新薬等の各事業所に転勤を命ぜられるかも知れない旨説明し、申請人はこれに対し、よく分つたと返事した。
そして申請人は、昭和四六年九月「三社宛」の入社志望票を提出した。昭和四六年一〇月一日、会社は筆記試験等を行い、翌二日面接試験を実施し、申請人は、いずれもこれを受験した。申請人に対する面接試験は、佐藤輝夫会社人事課長を含む五名の面接委員によつて行われ、その際同課長らは、入社志望票に記載してある申請人の希望職種、希望勤務地に関して、職種、勤務地が特定されることはないこと、採用後最初にどの事業所に配属されたとしても、三社間の転勤の可能性があることについて、これに応ずるか否かを質したところ、申請人は「結構です」と回答したため、同課長は、所携の申請人の入社志望票コピー(疎乙第二五号証)の「希望する職種とその理由」欄及び「希望する勤務地とその理由」欄の各欄外にそれぞれ「他職種O・K」「他勤務地O・K」と記載した。
(二) 申請人の労働契約上の地位について
1 以上の事実を前提に申請人の雇傭関係を考えるに、申請人は、前認定のとおり、本社一括求人という方法で三社共通の入社試験を受け、三社一括という方法で採用されてはいるが、その後配属という形で会社勤務に定められ以後継続して同会社で就労していることを考慮すると、配属の段階までに、申請人と会社との間に本社採用資格社員として雇傭関係が結ばれたと認められる。即ち三社に採用されるという経過を経ながら前認定のような経緯をたどつて結局会社との間で労働契約が成立したものと認めるのが相当である。
そして申請人は、本社採用資格社員としての地位を有するものであるから、会社との間で契約関係は成立しているものの、それのみに止まらず、勤務地及び職種の特定がなく、会社内部は勿論、将来は三社間をも社内転勤と同一の手続によつて異動を命ぜられることがあるという、そのような地位にあつたというべきである。
2 申請人は、会社名古屋工場勤務者として職場を特定され、かつ試験課員として職種を特定されて入社したと主張する。そしてその裏付けとして(ア)申請人は会社名古屋工場からの求人に応じたこと(イ)申請人の出身高校に送付された求人票に申請人主張の記載があつたことをあげる。
そこで先ず(ア)の点を考えるに、申請人が本社採用資格社員として採用されたことは前認定のとおりであるところ、前掲疎乙第三一号証、成立に争いない疎乙第二六号証、弁論の全趣旨により成立を認められる疎乙第五一号証及び証人藤田高堂の証言を併せ考えると、結局便宜的に名古屋工場が申請人の求人事務を担当したに過ぎないことが認められるからこの点についての申請人の主張は理由がない。
次に(イ)の点を考えるに、求人票に申請人主張の記載があつたことを認めるに足りる疎明はない。
その他成立に争いない疎甲第二ないし第四号証、第六号証、第一六ないし第二二号証、申請人本人尋問の結果及びこれにより成立を認められる疎甲第五、一一号証、原本の存在及び成立に争いない疎甲第二九号証、前掲疎乙第一五号証によつては、未だ申請人が勤務地、職種を特定して入社したものでないとの前認定を左右するに足りず、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。
3 そして前認定のような採用方法は、前認定のとおり採用時までに、応募者に十分周知、説明されている以上、労基法二条、一五条に反するとは云えない。
その他前記1ないし3の認定に反する前掲疎甲第一一号証、弁論の全趣旨により成立を認められる疎甲第三二、四二号証、申請人本人尋問の結果は採用できず、弁論の全趣旨により成立を認められる疎甲第三三号証によつては、未だ右認定を左右するに足りず、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。
(三) 本件命令について
以上の事実を基礎に、申請人に対する本件命令が単なる社内配転命令に過ぎないのか、出向命令に当るのかを判断するに、労働者の労働契約上の債務履行は同契約上の債権者たる使用者の労務指揮のあり方と深いかかわりがあることを考えると、特段の事情が認められない限り契約において当事者とされた者以外の者の指揮命令に服することになるか否か、換言すれば使用者たる者の法人格の異同を基準に出向か否かを決すべきものと解する。すると、本件において、三社の沿革、人事、経営、社員の採用方式、勤務条件、福利厚生等が法人格を異にするに拘らず、密接不可分の関係にあり、現在実態上一つの会社に近い状態で運営されていることは、認められるけれども、少くとも申請人の雇傭関係を法律的見地から見ると、会社と興和新薬は法人格を異にし、申請人が労務を提供する際の具体的指揮権者は法的に変更するものと認められるから、本件においては興和新薬に勤務すべき旨の命令をいわゆる出向(在籍出向)に当るものと解して以下判断を進めるのが相当である。
三 つぎに本件命令の効力につき判断する。
(一) 会社における出向に関する制度と実績
申請人の本件命令前の職場は、会社名古屋工場であり、同工場の就業規則六条には、「従業員は工場の都合で傍系会社、工場に転勤を命じ、または職場ならびに職種の変更を命ぜられる事がある。前項の場合、従業員は正当な事由がなければこれを拒むことはできない。」と定められており(以上の点は当事者間に争いがない)右規定にいう傍系会社とは興和紡績、興和新薬の二社を指しており、本件命令までは、社内転勤と同一の手続で異動が行われていた(この事実は証人藤田高堂の証言により認められる)。
本社採用資格社員の三社間の異動については、申請人入社当時の前後を通じ、社内転勤と同一の手続によりなされており、三社の社員も一般に当然のこととして異議をとどめることなく受けとめているのが実態である(昭和四三年三月二〇日から昭和五二年九月三〇日までの一〇年間に延べ二一八名が三社間を社内転勤手続によつて異動している)。
そして前認定のとおり本社採用資格社員の人事異動については、三社を一括する存在として、一つの人事部即ち「三社の人事部」が三社全体の業務上の考慮に基づき決定、実施している。
右のような異動において昭和四七年から昭和五二年三月末日までは、例えば、本件異動のように会社から興和新薬に異動する場合であれば、三社の連名で「興和新薬○○○部勤務を命ずる」という形式の辞令が交付され、それ以外の時代は、異動先の三社のいずれかの会社名の辞令が交付され、このような取扱について組合からも他の従業員からも異議等が述べられたことは一切なかつた。
即ちこのような従業員の認識は古くから三社において培われており労働組合(全興和労連)も認識していたし、本件命令に対しても全興和労連としては異議を述べていない(以上の事実は、前掲疎乙第二一、二九、四〇号証、証人藤田高堂の証言により認められる)。
(二) 入社時における申請人の同意
前記二、(一)に認定した如く、申請人は、本社採用資格社員として採用されたこと、その際申請人は、会社から、本社採用資格社員は勤務地及び職種を特定せず、三社の幹部候補社員として採用すること及び本社採用資格社員は、将来三社間を社内転勤と同一手続によつて異動を命ぜられることがあり、その異動は社内で頻繁に行われていることなどの説明を受けたこと、これに対し申請人は、承諾の意思を表明し、その結果会社に採用されるに至つたことが認められるから、申請人は採用の際に会社の出向制度を理解し、将来における興和新薬等への出向について予め包括的同意を会社に与えたものということができる。
申請人は、右会社側の説明は、一般的なものであつて、異議を述べないことをもつて同意とみなすことは不当である旨主張するが、右説明の時期や対象者の点を考慮すると、右は単なる一般的解説に止まるものではなく、入社申込者に対する採用者側の労働条件に関する申込とみるべきものであり、前認定の如く、申請人は、自己に関する労働条件としてその説明を聞き、承諾の趣旨を申し述べていることが明らかであるから、右主張は採用できない。
(三) 会社の出向命令権の根拠
以上(一)、(二)の事実を併せ考えると三社の実質的一体性が高度であり、実質上同一企業の一事業部門として機能していて、いわゆる親子会社における関係以上に密接不可分の関係にあること、又統一的な人事部門によりほゞ統一的な人事労務管理がなされ、従前三社間の人事異動は、転勤とみなされていた実態等があること、このような実態を背景として、申請人は、細部にわたつて詳細にとは云えないまでも、右の基本的構造を、採用時に説明を受け、これを了承して入社したものと認められるから、右申請人の採用時の右包括的同意に基づき使用者たる会社は、申請人に関する将来の他の二社のうちのいずれかへの出向を命ずる権限を取得したものといわねばならない。
申請人は、出向については出向を命ぜられる者の同意が必要であり、その同意は入社時の包括的同意では足りず、出向先等を明示した会社側の個別的、具体的条件の提案に対する個別的同意でなければならないと主張する。しかしながら労働者の出向を拒む利益、即ち契約における当初の使用者のもとで労務に服する利益を、一身専属的なものとみて、これを放棄しまたは他に委ねるには、当該権利者の同意を必要とするという趣旨に解するならば、それは真に同意に価するものである限り、明示とか個別的なものに限る理由なく、暗黙或いは包括的態様のものでも足ると解すべきである。もつとも有効な合意とみるためには、それが労働者の十分なる理解のもとでなした真意に基づくものであることが必要であり、また内容が著しく不利益なものや、将来不利益を招くことが明白なものであつてはならないことは当然である。更にまた同意をした当時と出向命令時との間に関連会社(出向先)の範囲に変動があつたり、出向先の労働条件に変化があつて、労働者に不利益な事情変更があつたような場合には、包括的同意を根拠として出向を命令することは問題であろうが、そのような場合ではない限り、使用者は事後的に、包括的同意の効力の範囲内において具体的出向命令を発し得ると解するのが相当である。
本件では、申請人主張の如き個別的同意は認められないが、入社の際明示の包括的同意があつたことは前認定のとおりである。そして前述の如く当時会社には就業規則上出向に関する規定がおかれ、社内の出向手続も制度として確立していたこと、そして右手続に従つて多数社員が関連会社に出向していた実績があること、出向先は三社と限定されており、この三社間では労働条件は大部分が共通であり、出向によつて特に経済的不利益はないこと、申請人に対しては十分なる説明がされていることなどの状況がみられ、これらは、申請人の右同意が真意に基づくものであることの認定を補強する事情であるとともに、右同意の内容が相当であることを裏付ける事情ともなると解されるのであつて、右事情を総合して判断すると、申請人がなした包括的同意は、軽卒によるものとか、正当性を欠く意思表示であるなどとはとうてい認め難く、真意に基づく同意としての内容に即した法的効果を生ぜしめるに価するものと認めるのが相当である。申請人の右主張は採用できない。
以上によると会社は申請人に対して、入社時の契約に基づき包括的出向命令権を取得していたものというべく、本件命令は右権限の行使として右同意の趣旨の範囲内において行われたものと認めるのが相当である。
以上の認定、判断に反する前掲疎甲第一一号証、申請人本人尋問の結果は採用できない。
四 権利の濫用であるとの点について
次に本件出向につき前認定の如き根拠があつたとしても、本件命令が必要性又は合理性を欠くなどの理由により権利の濫用に当るということになれば、右命令は無効というべきであるから以下これらの点につき検討する。
(一) 必要性について
前掲疎乙第二一号証、成立に争いない疎乙第三四号証の一・二、第三五号証、証人藤田高堂の証言及びこれにより成立を認められる疎乙第三六、三七号証、証人市古宜雄の証言及びこれにより成立を認められる疎乙第一七号証、弁論の全趣旨及びこれにより成立を認められる疎乙第四四号証を併せ考えると以下の事実が認められ、右認定に反する前掲疎甲第一一号証、申請人本人尋問の結果は採用できず、前掲疎甲第三二、第四二号証によつては、未だ右認定を左右するに足りず他に右認定を左右するに足りる疎明はない。
1 会社の医薬事業部生産部門で生産された医薬品は、全てその販売部門たる興和新薬により販売されるため、興和新薬の薬品販売量が増加することにより当然会社の業績も上がることになる。
ところで会社の業績は、昭和四八年のオイルシヨツク以降、漸次下降線をたどり、昭和四九年、五〇年度の経常利益は、大幅な赤字を示すことになり、会社製造医薬品の販売部門たる興和新薬の経常利益との合計においてもなお赤字を計上することになつた。右興和新薬を含めた会社の経常利益低下の原因は種々あるところ、医薬品部門に関しては、経常利益低下の原因は、オイルシヨツクによる原価高、人件費の増大傾向によると同時に右原価高、人件費の増大に比して、興和新薬の売上率が伸びなかつたことによる。昭和五〇年度の決算が赤字になることは当初から予測されたので、会社は、同年中頃、常務会で右赤字解消のため、薬品部門の研究、生産部門の人員を削減して、一人当りの生産原価を低くすると共に、薬品の販売力、販売網を順次増強、拡大する方針を打出し、昭和五〇年以降会社薬品部門の営業強化の一環として継続的かつ定期的に会社名古屋工場、会社富士工場から興和新薬へ人員を補強することとした。
右決定に従い、昭和五〇年一一月七日から昭和五二年四月一日まで富士工場及び名古屋工場から興和新薬へ被申請人主張のとおりの員数の人事異動がなされた。
2 本件出向は、前認定のとおり昭和五〇年夏頃三社の常務会において決定された方針である興和新薬の営業部門強化のため、昭和五〇年一一月七日以来本件出向までに五回にわたつて実施された会社及び興和紡績から興和新薬への人事異動の一環としてなされた。
昭和五二年九月初め頃、会社医薬事業部副事業部長兼興和新薬営業本部長下山は、前記の定期異動の方針に基づき、当時の会社医薬事業部製造本部長兼富士工場長であつた森に、富士工場及び名古屋工場から興和新薬へ異動させる適任者を数名人選するよう指示し、これを受けて森は、同月五日、当時の会社医薬事業部名古屋工場長であつた市古に名古屋工場からの興和新薬への異動の適任者を二名至急人選するよう指示した。その結果、試験課からは後に認定する事情から、申請人が選ばれた。
3 してみれば本件異動に至る業務上の必要性について、これを否定する事情は認めるに足りず、会社としては、本件異動について、業務上の必要性を有していたと認めるのが相当であり、これに反する申請人の主張は採用できない。
(二) 人選の合理性について
1 前認定の事実に、前掲疎甲第一一号証(一部)、疎乙第一七号証、成立に争いがない疎乙第四五号証の一・二、第四六号証、証人藤田高堂の証言により成立を認められる疎乙第四一号証、弁論の全趣旨により成立を認められる疎乙第五二号証、証人市古宜雄の証言、申請人本人尋問の結果(一部)及びこれにより成立を認められる疎甲第二六号証並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ右認定に反する、申請人本人尋問の結果により成立を認められる疎甲第二五、二七、二八、三〇号証、並びに疎甲第一一、二六号証及び申請人本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を左右するに足りる疎明はない。
(1) 前認定のとおり二名の人選を命ぜられた市古は、それまでなした名古屋工場から興和新薬への異動は全て製造課、製造研究課及び試験課からであつたため、今回も右三課から人選することとし、バランスを考え試験課及び、製造課から各一名ずつ人選することとした。従来右三課から人選して来た理由は、右三課の業務内容が、プロパーとして業務を遂行するうえで、応用出来る知識と比較的関連性があり、右三課には、機能順応性の高い社員が多いという点にあつた。
又市古は名古屋工場に持込まれる当時の製品に対する苦情のうち、変色、亀裂等製剤の外観変化に関するものが半分以上を占める程多かつたため、試験課から人選する者については、右の外観変化について、末端に対し、十分説明出来るものを選任しようと考え、沢田試験課長と相談したところ、試験係が適任であるとの結論に達し、同係から一名人選することとした。そこで市古は当時試験係であつた六名(中島昌典、小川広忠、石塚日利、舟橋敏夫、片山美佐子、申請人)につき右沢田と逐一検討を加えた。その結果は次のとおりであつた。
右中島は、試験係の主任的地位にあつたため、同人を異動させることは、同係の作業に支障を生ずる、右小川は結婚したばかりであるから異動は酷である、右石塚は二年程前に大病をしたことがあるため営業部門を担当させることは、体力的に無理であつた、右舟橋は病弱であるうえに、学歴も中卒で、事業所採用資格社員であり、転勤に適さない。右片山も事業所採用資格社員であり、女性でもあるから、営業に適さないということから人選からはずさざるをえず、他方申請人は高校卒の本社採用資格社員であり、年令も若く、独身であつて、異動は容易であり、性格やそれまでの勤務状況からみて、営業部員としての事務処理能力及び対人折衝能力も十分であり、他に興和新薬への異動につき支障となるような事情も見出せなかつたので、申請人を適任者として人選し、申請人の興和新薬への異動を決定した。
(2) なお申請人の異動前の業務と異動後の業務の関連性は、次のとおりである。
申請人は本件出向までは、試験係として勤務していたものであるが、その具体的業務は、被申請人が主張する第二、六(一)2(4)(ア)aないしcのとおりである。
そして申請人は同係の業務は経験しているので、医薬品の外観変化については、相当な専門的知識を有していたものということができ、更に四年余に亘る医薬品製造工場における勤務経験から、医薬品に対する相当な知識を取得していた。
他方申請人の現在の勤務先である興和新薬高松営業所における申請人の業務内容は次のとおりである。
申請人は高松営業所「薬粧部」に所属し、徳島県担当のプロパーとして勤務し、主として卸問屋、薬局及び薬店を訪問して薬品説明を行い、医薬品の販売促進を担当している。そして薬粧部営業部員の基本的な業務は、卸問屋、薬局及び薬店に対し、販売する医薬品や医薬部外品等について、その本質である「有効性」と「安全性」を周知徹底せしめると共に、過誤のない用法、用量及び保管方法について説明し、販売促進を行うことである。
又右業務に付随する重要な業務は、販売先及び末端消費者からの会社製品或いは、医薬品全般についての要望、意見、苦情等を積極的に吸収し、明確な処理を行うことである。
そして申請人は、従前習得した技術面の知識経験を十分に生かして営業活動を行つている。
申請人は高松営業所で真面目に勤務し、プロパー業務を支障なく遂行し、対人的にも適応し、本件出向により格別の不利益を受けていない。
2 申請人は、本件異動により試験係業務に支障を来たす不合理があると主張するが、前掲疎乙第一七号証、証人市古宜雄の証言及びこれにより成立を認められる疎乙第二四号証によれば、会社は新たに開発又は改良された薬品についての外観試験は、薬品の開発や改良を業務としている製造研究課に開発、改良と共に一貫して実施させた方が能率的であると考えていたため、申請人の異動を機会に右業務を試験係から研究課に移管したこと、右業務移管は医薬品の製造及び品質管理に関する基準(いわゆるGMP)に抵触することもないと認められ、前掲疎甲第二五ないし二七号証、第三〇号証、申請人本人尋問の結果をもつては未だ右認定を左右するに足りず、他に右認定を覆して申請人の主張を認めるに足りる疎明もないから申請人の右主張は採用できない。
してみると本件人選については、申請人主張のような不合理があつたとは認められず、相当なものであつたと云わざるを得ない。
(三) 前認定のとおり申請人には、本件異動によつて通常の出向に伴う負担以上の特段の不利益を強いられているような事実はなく、その他本件出向が権利の濫用と認めるに足りる疎明はない。
五 不当労働行為であるとの点について
申請人が全興和労連の組合員であり、興和新薬の労働組合は、全興和労連に属さない別異の組織であることは、当事者間に争いがなく、前掲疎甲第一一号証、申請人本人尋問の結果及びこれにより成立を認められる疎甲第八ないし第一〇号証によれば、申請人は、昭和四八、四九年の二年間にわたりその所属していた化学労組名古屋支部の支部委員、中央定期大会代議員等として、組合情報活動や女子の交代制勤務の廃止、寮の食事問題等の面で活動して来たことが認められ、その間他の組合員と共に、労働組合活動のあり方等につきビラ配布等の活動を行う等をして来たことが認められるけれども、本件命令は前記(一)、(二)に認定判断したとおりの会社の真の業務上の必要性に基づき、合理的な人選をなした結果なされたものと認める外なく、前に認定した申請人の組合活動及び前掲疎甲第七、八、一〇、一一、二八、三二号証、弁論の全趣旨により成立を認められる疎甲第四四号証を併せ考えても、未だ本件命令をもつて申請人の正当な組合活動を嫌悪し、申請人の組合活動を不可能にすることないしは組合活動をなしたことの故に申請人を不利益扱することを企ててなされたものとは認められず、又本件命令を発するにおいて会社が特に申請人の組合活動の便宜を計らなければならない事情も認められず、他に申請人の主張を認めるに足りる疎明はないから不当労働行為であるとの申請人の主張は採用し難い。
六 思想、信条による差別であるとの点について
右主張については、前掲疎甲第七、八、一〇、一一、三二、三四、四二、四四号証、申請人本人尋問の結果及びこれにより成立を認められる疎甲第九号証をもつては、未だこれを認めるに足りず、他にこれを認めるに足りる疎明はない。
七 以上により、申請人の主張はその余の点につき判断するまでもなく理由がないからこれを却下し、訴訟費用について民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 井上孝一 佐藤壽一 島本誠三)